東京都新宿区 高田馬場駅前にあった私立高田高校昭和42年3月卒業生の回顧録

〜目次〜

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序章
《前 文》
第一章
《入学前》
第二章
《高校受験案内書》
第三章
《高校時代の成績》
第四章
《英語の教科書》
第五章
《生徒手帳》
第六章
《各生徒》
第七章
《親友・田所誠一郎》
第八章
《各先生》
第九章
《恩師・磯貝瑤子先生》
第十章
《修学旅行》
第十一章
《ガール・フレンド》
第十二章
《当時の昭和史》
第十三章
《全卒業生名簿》
第十四章
《高田高校概略》
第十五章
《雑記》
第十六章
《編集長と著者》
あとがき
《総決算》
参考資料
《当時の記録》
さよーなら!
《別れの音色》

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第十章《修学旅行》

この修学旅行の行き先に関してはどこへ行こうかという話があり《蒲郡》という提案を私がしました。大受けでした。その理由は混浴で女と一発出来るという噂があったからです。しかし結局修学旅行は高校2年(1966年)の3月下旬に北九州へ行きました。往路は東京から博多へ寝台特急《あさかぜ》を利用し終点・博多で下車しました。その車内では出発直後に皆でワイワイガヤガヤ騒ぎながら私はそのどさくさにまぎれて近くを通った車内販売の女性のお尻をソフトタッチした処《キャ!》と言われてしまいましたが、これって今で言うセクハラか痴漢行為になってしまいます。当時二十歳位の女性でしたが《あの時はごめんなさい》と言う他はありません。
この修学旅行で一番の衝撃的な思い出は長崎の原爆記念館でその被害の様子を写真や模型で見た事でした。絶対にこんな事があってはならないと強く感じました。8月の原爆記念日にはどうしても最初に落とされた広島がクローズアップされますが、いつの日にかまたこの長崎原爆記念館を訪れたいと考えています。九州内は総てバスで移動しましたが、バスの停車中に運転手が《チップをもらったんだ》と言っていたので《いくらもらったの?》と聞いたのですが《それは言えない》と言って断られてしまいました。そのバスの中でガイドが《長崎原爆の歌》を歌っていました。とても素敵な曲なので帰宅後も何回かハミングしていました。残念ながら今は忘れてしまいましたが、是非もう一度接してみたい音楽です。
他に行った所はグラバー邸、熊本城、阿蘇山等でした。
場所はどこだか覚えていませんが夜の外出で私は石毛と一緒にパチンコをやりましたが直ぐに玉が無くなってしまいました。それを見ていた地元の年配男性が《玉を上げようか?》と言っていたのですが石毛が《いいです》と言って断っていました。私は黙って見ていましたが内心もらっとけばいいのにと思っていました。
私の今日迄の人生で馬に乗ったのはこの修学旅行の時だけでした。その場面を写してくれた瑶子先生には感謝しております。
佐賀県の嬉野温泉に宿泊した時の出来事です。夕食後全員が揃っている時にじゃんけんをして負けた奴が歌う事になっていました。しかし私が負けてしまったのです。それが嫌で逃げ出したのですが田所に捕まってしまいました。3回逃げて3回共田所に捕まえられてしまったのです。その3回目の時の私は絶体絶命で殆どパンツ迄半分以上脱がされ掛かって田所から《絶対に歌うか?》と聞かれ《絶対に歌う》と答えて歌いました。その曲名は《涙くんさよなら》であり、誰かが《結構上手いじゃん》と言っていたのを覚えております。
その旅館で私はその現場に居合わせなかったのですが、田所や田中等数人が他の宿泊客である男と女の性行為の呻き声を聴いたと言っておりました。特に田所は生前にやにやしながらこう語っておりました。
女《あん、あーん!》
男《うっ!》
女《あん、あん、ああーん!》
男《うをー!》
女《あっ!あっ!ああ〜ん!!!うー!》
男《どうだい?》
女《もっとやってよ》
男《いいとも》
この修学旅行の帰りつまり復路は大分から大阪へは船旅でした。しかし夜間航行の為寝ていたので瀬戸内海を拝む事は出来ませんでした。大阪から東京へは急行電車(湘南色)でした。ボックスシートで友達の田所や田中と共に楽しい思い出と共に帰って来ました。私にとってこの修学旅行は素晴らしい思い出が残る貴重な青春の一齣でした。高校卒業後も田所が病の為に付き合いが難しくなる迄は私が幹事役になって3人で飲み食いしたり、夏になれば海(伊豆急下田の白浜海岸や宮崎の青島海岸等)へ行き青春を楽しんだものです
この修学旅行で利用した列車等の時刻表をここに掲載しました。更に分かりやすく表示する為にワード打ちをしました。ここに掲載した時刻表は修学旅行へ行った時(1966年3月)の物を国立国会図書館の蔵書をコピーしました。しかしこれは読み辛いので分かりやすくワード打ちをしました。現在は《あさかぜ》も大阪〜東京を結ぶ急行電車もありません。他に当時の時刻表を点検すると、寝台特急《はやぶさ》(熊本経由)や《富士》(宮崎経由)は西鹿児島(現在の駅名は鹿児島中央)へ行っていましたが、その両列車はその後それぞれ熊本と大分止まりになっておりましたが2009年3月に廃止になりました。その他修学旅行専用列車として《きぼう》や《ひので》等があり、準急や急行も多数運行されていました。時刻表そのそのものの数字は今も昔もサッと見た目では一見変化が無い様ですが、中身は時代の流れと共に大きく変化し進化しており隔世の感があります。

往路
1966年3月21日 列車名 あさかぜ 東京駅14番ホーム入線
列車番号9
東京駅発(19:10)〜博多駅着(12:00) 営業キロ=1174.9km
所要時間16時間50分
東京(19:10発)〜横浜(19:37着・19:38発)〜熱海(20:44着・20:46発)〜
浜松(22:41着・22:43発)〜名古屋(0:01着・0:06発)〜京都(2:02着・2:05発)〜
大阪(2:38着・2:42発)〜岡山(4:57着・5:02発)〜尾道(6:01発)〜広島(7:19着・7:24発)〜
徳山(8:56着・8:57発)〜防府(9:23発)〜下関(10:38着・10:42発)〜
門司(10:49着・10:53発)〜博多(12:00着)

復路
1966年3月25日
瀬戸内海航路 むらさき丸 別府発(15:30)〜大阪着(9:10)
所要時間17時間40分
別府(15:30)〜松山(20:40)〜今治(23:00)〜神戸(7:30)〜大阪(9:10)

1966年3月26日
列車名 急行第二なにわ 大阪駅11番ホーム 列車番号104M
大阪駅発(12:45)〜東京駅着(20:42) 営業キロ=556.4km
所要時間7時間57分
大阪(12:45発)〜京都(13:18着・13:19発)〜大津(13:28発)〜彦根(14:12発)〜
米原(14:18着・14:19発)〜大垣(14:47着・14:48発)〜岐阜(14:59着・15:00発)〜
一宮(15:11発)〜名古屋(15:27着・15:31発)〜刈谷(15:51発)〜岡崎(16:02発)〜
蒲郡(16:14発)〜豊橋(16:27着・16:28発)〜浜松(16:57着・16:59発)〜
藤枝(17:40発)〜焼津(17:46発)〜静岡(17:58着・18:00発)〜清水(18:09発)〜
富士(18:28着・18:29発))〜沼津(18・46着・18:47発)〜三島(18:52発)〜
熱海(19:04着・19:06発)〜湯河原(19:12発)〜小田原(19:26着・19:27発)〜
大船(19:57発)〜横浜(20:12着・20:13発)〜品川(20:32発)〜新橋(20:38発)〜
東京(20:42着) 修学旅行

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