
私は中学から英語で海外文通をしていました。相手はカナダのオンタリオ湖の脇にあるキングストン市に住む同い年の女の子でした。更に高校生になってから九州・福岡県に住むこの女の子と当然の事ながら日本語で文通するようになりましたが、英語と違って文章を書くのが凄く楽でした。しかし今みたいにパソコンで簡単に修訂正出来る訳も無く、何回も書き換えたり大変な部分もありました。高校生当時はこの女の子との文通が何よりの楽しみであった事は間違いの無い事実です。その手紙は今でも総て保管してあり、それは私の少年時代〜青年時代のとても大切な宝物と言っても過言ではありません。時間の掛かる難作業でしたがその手紙の総てを精査した結果重大な発見がありました。それを今更述べた処でどうにもならない事なので割愛致します。しかし結果論になってしまいますが私の人生にとってとても大事な事、或は非常に大切な物を失ってから長い年月を経て初めて理解し、認識出来る部分があったのです。ですから一番大切かつ重要な事は自分が置かれている状況の中で、要するにリアルタイムに於いて適切に判断し行動する事だったのです。ではここにその貴重品のほんの一部を公開致します。尚この手紙の公開に関しては彼女の許諾を得ていませんが、多分笑って許してもらえるものと信じて疑いません。万一そうでなければ《ごめんなさい》と言って許しを乞うだけです。
2002年6月に私は彼女に会いに名古屋へ行きました。特別に用件や話があった訳ではなくただ単に会ってみたかったからです。しかし彼女にとっては迷惑だったのか冷ややかで消極的な対応をされ残念に思いました。何だか彼女に悪い事をしてしまった様で申し訳ない気持ちで一杯です。しかしわざわざ時間を割いて来てくれた事に対しては心から感謝しております。
この時の会話の一部で次の内容がありました。
私 《リコから初めて手紙をもらったのが今から36年前だったけど、その手紙は総て保存してあるんだ》
リコ 《恥ずかしいから捨ててよ》
この当時の俺から出した手紙の控えはありませんが、受け取った手紙は総て
昔の思い出として生涯保存するつもりです。

前日、国鉄(現在のJR九州)・宮崎駅を21時に出発したエアコンのとても良く効いた快適な急行寝台で小倉へ行き、そこで鹿児島本線に乗り換え博多へ行きました。彼女(リコ)に逢う為です。待ち合わせ時間迄余裕があるので床屋行き、さっぱりと身支度を整え彼女の登場を待ったのです。とにかく彼女に逢えるので心が浮き浮き、胸がドキドキしていました。会った場所は国鉄・博多駅構内でした。そこで飲食をして色々な世間話をした事は確かです。その会話の途中で私は彼女にこう言ったのです。それは1975年8月31日、博多の喫茶店での話しであり私にとっては夢の実現を賭けた壮絶な戦いでした。
私 結婚しようよ
彼女 !
私 どう?
彼女 いきなりなんですもの、吃驚して絶句しちゃった
私 それで?
彼女 大変嬉しくありがたいお話ね、私にとってファースト・プロポーズよ、
だから一生忘れないわ
私 でもそれでは答えになってないよ
彼女 それならどう答えればいいの?
私 YESと言えばいいのさ、ただそれだけさ、実に簡単でしょ?
彼女 私は一人前の看護婦になってこれから大いに仕事をしたいの、だから家
庭との両立は難しいわ、私の仕事で突発残業は当たり前、その為にプラ
イベートで予定や計画や約束があってもキャンセルばかりで私生活なん
て全く無いのよ、だからあなたの申し出はとても素敵だけど、それを受けるのはとても難しい
わ
私 リコの仕事は尊重するし、俺は自分の価値観を押し付けたりしないから大丈夫だよ、本当に約
束するよ、保証もする
彼女 あなたは東京、私は博多での仕事よ、あなたはいつかこう言っていたわ、私達が遠距離恋愛に
なったら毎週でも東京から博多へ出向いて行くと、或は私達が広島や大阪・京都や名古屋等で
逢えば、新幹線を舞台にしたデートになると、そうなると確かにロマンチックで素敵ね、でも
そんな事は長続きしないわ、それに私はこの博多でいい仕事先をみつけたの、結婚の為にそれ
を犠牲にしたくないの、今は仕事だけに集中したいのよ
私 じゃあリコは俺を拒否し、仕事を選ぶのか?そんなに仕事が大事なのか?
彼女 私は幼少の頃から看護婦になるのが夢だったのよ、やっとその夢が実現しこれから本腰でその
仕事に取り組みたいの、しかも生まれ育ったこの博多で、私のこの気持ち分かってもらえるか
しら?
私 確かにリコは高校時代の手紙で看護婦になる夢を語っていた、その基盤の上に今の堅い決意と
ビジョンがあるんだろうね、夢を実現させ更にそれを進化・発展させようとしているんだから
とても素晴らしいと思うよ、しかし私がそうゆうリコにプロポーズした着眼点は決して間違っ
てはいないと確信している、リコの仕事に対する情熱には俺も本気で理解と協力を惜しまない
よ、東京のサラリーマンと博多の看護婦という立場だけど絶対に無理とは思えないね、遠距離
恋愛から長距離結婚があってもいいじゃないか
彼女 夫婦とはそもそも一緒に生活して暮らすものよ、それが常識だし当然だと思うわ、喜びも悲し
みも共有しその中でお互いに助け合い、励まし合いながら人生行路を歩むものなのよ、少なく
とも私はそう信じているわ、だから端から別居生活なんて私には考えられないわ、世間には色
々な事情があって別々に暮らしている夫婦も居るけど、私はそれを駄目だとか悪いとか言って
否定しているんじゃないのよ、しかし夫婦が同居する事は最も基本的な事と私は理解している
のよ、つまり端から別居生活を考えるあなたと、夫婦は一緒に住んで当然と思う私とでは大き
な温度差があるわね、そうゆう意味で根本的に価値観の違う私達が一緒になっても上手く行く
かどうか心配なのよ、それに一緒に住む場合の問題として、女の私が何故男のあなたに都合を
合わせなくてはいけないの?そうなると私は今のこのとても充実し満足している仕事や生活を
総て捨ててしまう事なのよ、逆にあなたは私の為に総てを犠牲にできるの?それなら私もあな
たの事を真剣に考えるわ
私 大昔は男が外で狩をして、その獲物を持ち帰って妻子に与えた、姿・形は変わっても原理・原
則、要するに基本的には今も同じだ、俺はその猟場を変えるつもりはない、住まいの問題は二
人だけの話し合いで解決したいし、リコの今の仕事も生活も大切にしたい、だから俺は別居結
婚を提案したんだ
彼女 先に言った様に私は別居にはどうしても納得出来ないわ、だから大変残念だけどこの話は無か
った事にしましょうよ
私 リコは自分と俺を天秤にかけたら自分の方が大事って事?
彼女 そうは言ってないわ、ただ私は今現在の自分の置かれた状況や環境を大事にしたいのよ
私 それは俺以上に大切な事なの?
彼女 私は自分以上に誰かを愛するなんて嘘だと思うわ、そんなの単なる思い込み、つまり自己陶酔よ
彼女 何故そう思うの?
彼女 人間は所詮、自己中心的にしか生きられないわ、例えば男を庇って身代わりに女が死んだとす
るでしょう、映画やドラマにある様に、剣や銃でやられそうになったのを自分が前に出て犠牲
になるっていう、一見それは自分よりも男の事を大切に考えた行為の様に見えるかも知れな
い、でも本当は違うわ、そうゆう犠牲的行為に本人が自己満足しているだけなのよ、あくまで
も男の為ではなく、自分が満足したいが為の行動なの、これを自己満足と言わなくて何て言う
の?
私 リコは自分の考えを正当化して自己主張している、そうやってきちんと言われると言葉にして
返せないよ、それでも違うという、もどかしい気持ちはあり、言い返せない俺は悔しいよ、要
するに俺にはリコの論理を論破する能力が無いのさ、しかしこれだけは言っておく、いいか
い、リコは看護婦なんだよ、愛とかヒューマニズムとは何なのか自分なりにきちんとした結論
を出して患者に対応し、世間に対処すべきだ、ただのビジネスとしてその仕事をやっているん
じゃないでしょ?
彼女 じゃあ質問するけど、あなたの言う愛とヒューマニズムって何なの?
私 簡単に言えば《愛》とは、その人の為に死ねるかという事だ、つまりその人の為であれば自分
の身を呈して守る事だ、それが実行出来れば本当の愛であり、出来なければ愛を語る資格はな
いね、ヒューマニズムとは分かりやすくいえば言えば人間愛だ、それは他人或は第三者に対し
優しく思いやりのある気持ちで接する事だ、リコは看護婦なんだから特にその気持ちは大切だ
よ、そうゆう考えがあるからリコは看護婦になったんでしょ?俺のこの考えは間違っているか
な?
彼女 ごめんなさい、私は仕事上ストレスが溜まり、思いっ切り言える相手も居なくて、ついあなた
に甘えてぶつけてしまったの、本気でそう思っていたんじゃないわ、あなたの言う通りよ、ご
めんなさい
渡 いいんだ、気にしないで
彼女 私はあなたのそうゆう優しい処が好きよ
私 話を基に戻そう、結婚話を前進させようよ
彼女 あなたの私に対する熱い思いは嬉しいし、真面目で温厚な優しい性格も大いに価値があるわ、
しかし今迄私が述べて来た結婚観は譲れないし、妥協も難しいわ、だからあなたのご期待に添
えなくて本当にごめんなさい
私 子供の使いじゃあるまいし《ごめんなさい》と言われて《はい、そうですか》と簡単に引き下
がる気は無いね
彼女 私の我ままを許して
私 駄目だよ!リコも強情だね、いい加減に諦めて俺の言う通りにするんだ!
彼女 お願いだから勘弁して、どうしても私は私の道を行きたいの、それ以外の選択肢は考えられな
いわ
私 ・・・・・
彼女 さあ、そろそろ行きましょうよ、あなたが乗る東京行き最終新幹線の発
車時刻が迫っているわよ、博多駅のホームで見送るわ
(博多駅13番ホームでのアナウンス)
間もなく13番ホームに16時24分発ひかり16号東京行きが参ります、危ないですから白
線より一歩下がってお待ち下さい、尚この新幹線は本日最後の東京行きとなります、お乗り遅
れのない様御注意下さい
彼女 今日で8月も終わり、夏が過ぎ、そして今日最後の新幹線であなたは去って行くのね
私 俺に夏と一緒に消えろってか?
彼女 そんな事言ってないわよ、本当にさよならをする時間が迫っているので寂しい気持ちなの
私 辛いよ、辛過ぎるよ、俺には耐えられない
彼女 しっかりしなさい、男でしょ、私よりいい人を見つけて幸せになってね
私 それは敗北者である俺に対する慰めの言葉か?俺がリコ以外の人で幸せになれるとでも思って
いるのか?まあ俺の人生なんてこんなもんなのだろう
彼女 まだそんな事を言ってる、ずっと友達でいようよ、私も応援するから、それでいいでしょ?
本当に約束するわ
私 やだよ、駄目だよ、そんな気休めの言葉は、ただの友人か?ボーイフレンドにガールフレンド
か?そんな物糞喰らえだ!
彼女 やんちゃ坊主みたいな事を言わないの
私 俺は本心を言っているんだよ
彼女 格好良くスマートに別れましょうよ
私 俺の夢が実現するか否かの瀬戸際だ、生と死の狭間でもある、綺麗事を言っている場合じゃ
ない!
彼女 あなたって困った人ね、私にはどうしようも無いわ、もうあなたにサヨナラするしかないの
よ、分かるわね?分かって欲しいのよ、私には仕事しか眼中にないのよ
私 それなら最後にもう一度質問する、リコは看護婦として病人を救うが、リコに助けを求めてい
る俺の願いは切り捨てるのか?要するにビジネスとしての仕事があるだけなのか?他はどうで
もいいのか?そんな事で本当に病人を救えるのか?
彼女 あなたは病人じゃないわ、精神的には健全だし、肉体的にも健康そのもの、全く問題はない
わ、それとも恋の病?いずれにしても医者や看護婦や私の出る幕はないわ
私 俺の質問に正確に応えて欲しい、さっきからのリコの返事は俺の質問に対し摩り替えての回答
だ、つまりリコの返事は一見正当性がある様に思えるけど本当の答えになっていないんだよ
彼女 私は病に苦しむ人達の手助をしたいの、それに生き甲斐を感じてこの仕事を生涯やり遂げるつ
もりなの、つまり私のライフ・ワークよ、だから他の事は一切何も考えたくないの、いけない
事かしら?私の考えは間違っているの?
私 じゃあ俺の事はどうしても嫌なのか、それとも駄目なのか、どっち?
彼女 お願いだからそんな子供みたいな事を言わないの、私の事を本当に思う気持ちがあるのなら好
きにやらせて
私 リコが愛しているのは病人だけなの?それなら俺もそうなりたいよ
彼女 そんなおバカな事を言うなんてあなたらしくないわ、もう結論は出ているのよ
私 例えて言うならば、今の俺の立場は最愛の母親から見捨てられた、泣きじゃくっている幼児
だ、しかしその幼児は誰かが助けてくれる、俺にはそれが無い、こんな事誰にも話せないし、
相談も出来無い、とても辛いよ
彼女 もう一度言うわ、本当にごめんなさい、心からお詫びするわ、でも高校の文通時代は古き良き
時代の思い出ね、あの頃が一番良かったかもね
私 会うが別れの始めとは良く言ったもんだ、出会いがあるから別れがある、リコに会えた事には
心から感謝している、でも別れがこんなに辛いなんて想像を絶した厳しさだ、もう後の祭りだ
けどあの高校時代の文通でリコにもっと優しく接していれば良かった、あの時はいつ迄も返事
をしない事が何回もあってごめんなさい
彼女 昔の事だからもういいのよ
私 俺は夢と幸せを求めて今日リコにプロポーズした、結果的には上手く行かずとても残念だ、
しかしリコの幸運を心から祈っているよ
彼女(笑)フッ
私 何がおかしい?
彼女(笑)格好付けて《幸運を心から祈ってる》なんて心にも無い綺麗事を言っちゃって、このー
私 (笑)あっ、ばれたか、やっぱり分かる?
彼女(笑)だってミエミエの猿芝居用語なんですもの、あなたって面白い人ね、気に入ったわ
私 (笑)リコに見破られているようじゃあ俺も立派な役者にはなれそうもない
彼女(笑)人の心理が分からなくてはこの商売は難しいのよ
私 (笑)しかし沈滞ムードをぶっ飛ばして、明るいムードを演出したリコの会話操縦術は見事だ
彼女(笑)難い話だけでは面白く無いわよ、さっきからその一発逆転を狙っていたんだけど、中々
チャンスを?めなくてね
私 (笑)俺も本当は面白おかしく冗談っぽく話をして受けて貰えれば嬉しかったんだけど、つい向
きになって本気で勝負してしまって大人気なかったな
彼女(笑)最後は《サヨナラ》では無く《バイバイ》して笑って別れようね
私 (笑)だったら外国の映画みたいに固く抱擁して、熱いキスをしようよ
彼女 やめて!恥ずかしいじゃない!
私 (笑)他人に迷惑を掛ける訳じゃ無い
彼女 本当にいやよ!
私 (笑)いいじゃないか、減るもんじゃなし
彼女 絶対に駄目よ!
私 (笑)《やめて、いや、駄目》と、リコこそ子供みたいな事を言うんじゃないの
彼女 きゃ!やめて!本当に冗談じゃないわよ、あなたってそんな人じゃないと心から信じてい
るわ
私 (笑)何故断るんだ
彼女 こんな所で恥ずかしいからよ
私 じゃあ2人だけになれる場所だったらいいんだな?
彼女 やっぱり恥ずかしいから、いや、いや、いや!
私 今更駄目だよ!
(博多駅13番ホームに於けるアナウンス)
13番ホームから16時24分発ひかり16号東京行きが発車致します、ド
アが閉まります、御注意下さい
ここで彼女は私を強引に新幹線に押し込みこう言ったのです。
彼女 私、本当はあなたが好きだったのよ!じゃあね、バイバーイ!
私 ・・・・・!
ここで静かにドアが閉まり、私を乗せたその新幹線が出発しました。
当時利用したその新幹線(ひかり16号)のダイアは次の通りでした。これは国立国会図書館の蔵書(交通公社の時刻表、1975年8月号)を基に再現しました。尚新幹線の博多駅開業はこの年(1975年)の3月10日でした。
博多(16:24発)〜小倉(16:55着・16:57発)〜
広島(18:10着・18:12発)〜岡山(19:07着・19:09発)〜
新大阪(20:08着・20:10発)〜京都(20:29発)〜
名古屋(21:17着・21:19発)〜東京(23:20着) 次に掲載した手紙は彼女から初めて受け取った一番印象に残る記念の一品です。それは福岡県瀬高局の昭和40年11月24日の消印です。その他若干の手紙と海外(カナダ・オンタリオ市)からの1965年3月10日消印の手紙です。










